中央官制のみの記事になっているが、これ以外では北宋とさほど大きな違いは無い。
南宋の官制は北宋の元豊体制(元豊の改革を参照)を基本的に引き継いでいる。
元豊体制での宰相は尚書左僕射兼門下侍郎・尚書右僕射兼中書侍郎の二人で、徽宗代にこの二つを大宰・小宰と改名されたが、南宋になってから一時同中書門下平章事・参知政事が復活されたりし、最終的に孝宗の隆興元年(1163年)に左僕射を左丞相・右僕射を右丞相として二人の宰相とし、副宰相として参知政事を付けた。
南宋の官制というよりは、南宋の政治史の特徴として「独裁宰相」の時代が非常に長かったことが挙げられる。南宋初の秦檜・孝宗時代を挟んで韓侂冑・韓侂冑を殺した史弥遠・そして南宋末の賈似道である。この4人が政権を握っていた時代は南宋150年のうち70年近くにわたる。
これ以外の点では元豊体制とほぼ変わらず、二人の丞相の下に来るのが実務機関たる六部(戸部・吏部・刑部・兵部・礼部・工部)である。ただ唐代には人事権が吏部の元に集約されていたが、宋では高級文武官の人事は中書と枢密院、特に中書の手に握られていたことが大きな違いである。
更にいえば戸部・吏部・刑部の三者に比して兵部・礼部・工部の三者の重要性が著しく劣るということは特筆すべきことと思われる。兵部は枢密院が存続しているために実質的に取り扱うことは少なく、礼部・工部は元より重要性が低い。そのため例えば礼部尚書として他の戸部尚書などと同格として扱われているものの実質的にはその権能は限られたものであり、いわゆる「伴食大臣」となっていたのである。
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一見すると「伴食大臣」を朝廷に置いておくことは無意味に思える。しかしこれら「伴食大臣」に実務能力は低いものの硬骨な人物を置いておき、いわばこれを「御意見番」として取り扱うことが朝廷のバランスを取る上で一定の意味があったと考えられるのである。
南宋の外交相手として最も重要なのは北宋を滅ぼし華北を支配した金、そしてその金を滅ぼし最後は南宋を滅ぼした元(モンゴル帝国)である。北宋時代に関係があった高麗や西夏などとは地理的に離れたことにより関係が薄くなる。逆に海上技術が進んだこと、平清盛の登場などにより日本との関係は盛んになる。
宋を従えた金は高麗・西夏・大理国なども従え東アジアの覇者となった。しかしその経済的地盤は弱く、宋からの歳貢が無ければその経済活動を支えきれず、その歳貢にしても宋からの輸入品に対する決済で使い果たされる状態であった。
宋と金とは約100年に渡って中国を二分していた。両国の間では金から宋に対しては馬・絹などが、宋から金に大しては銀・銅銭・陶磁器・香料・書画・書物などが交易でやり取りされた。ここで特筆すべきことがこの交易品目は北宋代に華北と江南でやり取りされていたものとほとんど同じであるということである。つまり北と南で治める国が異なるとはいえ、江南の物資が華北を支えるという中国の経済システムはほとんど変わりなく、更に発展を遂げていたのである。その後の元、更には明清の経済システムも基本的にはこの延長線上にあるものである。