2009年06月17日

万里の長城(ばんりのちょうじょう)

万里の長城(ばんりのちょうじょう、ワンリーチャンチョン)は中華人民共和国にある遺跡である。ユネスコの世界遺産(文化遺産)。東端の遼寧省虎山から今まで東端とされていた河北省山海関に(以前はここから6,352kmとされていた)至り、西端の甘粛省嘉峪関まで総延長は8,851.8km(2009年4月18日、中華人民共和国国家文物局発表による)。

一般に長城を作ったのは秦の始皇帝だと認識されているが、現存している「万里の長城」の大部分は明代に作られたものである。戦国時代から趙などは北の異民族に備えるために長城を建設していた。また北に備えるだけではなく戦国七雄の国境間にも長城が作られていた。始皇帝は中華を統一した後に中国の中にある長城は取り壊し、北に作られた長城を繋げて大長城としたのである。この時の長城は土製であり、馬や人が乗り越えられなければ良いということでそれほど高い城壁ではなかったという。また現在の物よりかなり北に位置し、その東端は朝鮮半島に及んだ。
前漢の武帝は匈奴を追って領土を拡張したので、長城は西の玉門関まで拡張された。その後の五胡十六国時代に異民族の力が強くなり、北魏は南よりの現在の線に新しく長城を築いた。

五代十国時代の936年に長城の重要な防御拠点である燕雲十六州を後晋が遼に割譲し、これにより長城による北方民族の防御は困難になった。そのためその後の北方民族・契丹の建国した遼、女真の建国した金、モンゴル人の建国したモンゴル帝国は難なく長城を越えて侵入し中国(華北)は3世紀もの間、北方民族の勢力下に置かれた。南方から興った中国人の王朝である明がモンゴル人の王朝である元を北方の草原へ追放すると元の再来に備えるために明は長城を強化し、ようやく現在の形になった。よく「農耕民族と遊牧民族の境界線」と言われるが、実際は草原の中に建っている。これは元の時代に北方の草原と南方の農耕を一体とした社会・経済が成立し、明も自国内でそれを実現すべく北方への勢力拡大を行なっていたからである。そのため北方民族も南方の農耕民族の物産を必要としており、長城沿いに交易所がいくつも設けられた。ただし、交易はいつもうまくいっていたわけではなく北方民族側の思うとおりにいかない場合もあった。その交易を有利にするための威嚇として、明の力が弱い時期に北方民族は長城を越えて侵入を繰り返す。
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明末に満洲族(女真)が勃興し後金を建国すると、明との間で長城の東端を巡り死闘が繰り返された。後金は明に対して有利に戦いを進めるも、名将袁崇煥に阻まれ長城の東端の山海関を抜くことができなかった。しかし、袁崇煥は後金の謀略にかかった明の崇禎帝に誅殺された。その後明は李自成に滅ぼされ、後金から改名していた清は明の遺臣の呉三桂の手引きにより山海関を越え「清」の中国支配が始まった。

現在、中華人民共和国政府は重要な歴史的文化財として保護し世界遺産にも登録されている。世界有数の観光名所としても名高いが地元住民が家の材料にしたり観光客へ販売したりなどで長城のレンガを持ち去り、破壊が進んでいる。また、長城がダム工事により一部沈んだり道路建設により分断されもしている。長城周辺の甘粛省や陝西省は中華人民共和国でもっとも貧しい地域の1つで、当局は対策に頭を悩ませている。

2006年4月に行われた中華人民共和国の学術団体「中国長城学会」の調査によると万里の長城が有効保存されている地域は全体の2割以下で、一部現存している地域も3割であり残り5割以上は姿を消しているとの報告がされた。

2009年4月18日、中華人民共和国国家文物局は総延長は6,352kmから8,851.8kmであると修正発表した。毎日新聞によるとのろし台5723カ所も確認され、れんがなどでできた人工壁6259.6kmに加えくぼみや塹壕部分の359.7km、がけなどの険しい地形2232.5kmが含まれたことから延びたとみられるとしている。


2009年05月31日

南宋の官制は北宋の元豊体制

中央官制のみの記事になっているが、これ以外では北宋とさほど大きな違いは無い。

南宋の官制は北宋の元豊体制(元豊の改革を参照)を基本的に引き継いでいる。

元豊体制での宰相は尚書左僕射兼門下侍郎・尚書右僕射兼中書侍郎の二人で、徽宗代にこの二つを大宰・小宰と改名されたが、南宋になってから一時同中書門下平章事・参知政事が復活されたりし、最終的に孝宗の隆興元年(1163年)に左僕射を左丞相・右僕射を右丞相として二人の宰相とし、副宰相として参知政事を付けた。

南宋の官制というよりは、南宋の政治史の特徴として「独裁宰相」の時代が非常に長かったことが挙げられる。南宋初の秦檜・孝宗時代を挟んで韓侂冑・韓侂冑を殺した史弥遠・そして南宋末の賈似道である。この4人が政権を握っていた時代は南宋150年のうち70年近くにわたる。

これ以外の点では元豊体制とほぼ変わらず、二人の丞相の下に来るのが実務機関たる六部(戸部・吏部・刑部・兵部・礼部・工部)である。ただ唐代には人事権が吏部の元に集約されていたが、宋では高級文武官の人事は中書と枢密院、特に中書の手に握られていたことが大きな違いである。

更にいえば戸部・吏部・刑部の三者に比して兵部・礼部・工部の三者の重要性が著しく劣るということは特筆すべきことと思われる。兵部は枢密院が存続しているために実質的に取り扱うことは少なく、礼部・工部は元より重要性が低い。そのため例えば礼部尚書として他の戸部尚書などと同格として扱われているものの実質的にはその権能は限られたものであり、いわゆる「伴食大臣」となっていたのである。
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一見すると「伴食大臣」を朝廷に置いておくことは無意味に思える。しかしこれら「伴食大臣」に実務能力は低いものの硬骨な人物を置いておき、いわばこれを「御意見番」として取り扱うことが朝廷のバランスを取る上で一定の意味があったと考えられるのである。

南宋の外交相手として最も重要なのは北宋を滅ぼし華北を支配した金、そしてその金を滅ぼし最後は南宋を滅ぼした元(モンゴル帝国)である。北宋時代に関係があった高麗や西夏などとは地理的に離れたことにより関係が薄くなる。逆に海上技術が進んだこと、平清盛の登場などにより日本との関係は盛んになる。

宋を従えた金は高麗・西夏・大理国なども従え東アジアの覇者となった。しかしその経済的地盤は弱く、宋からの歳貢が無ければその経済活動を支えきれず、その歳貢にしても宋からの輸入品に対する決済で使い果たされる状態であった。

宋と金とは約100年に渡って中国を二分していた。両国の間では金から宋に対しては馬・絹などが、宋から金に大しては銀・銅銭・陶磁器・香料・書画・書物などが交易でやり取りされた。ここで特筆すべきことがこの交易品目は北宋代に華北と江南でやり取りされていたものとほとんど同じであるということである。つまり北と南で治める国が異なるとはいえ、江南の物資が華北を支えるという中国の経済システムはほとんど変わりなく、更に発展を遂げていたのである。その後の元、更には明清の経済システムも基本的にはこの延長線上にあるものである。

2009年04月27日

クルースン

クルースン (3753 Cruithne)(日本では他にクルイシン、クルイーニャ、クルーフニェ等の表記がある)は太陽系の地球近傍小惑星(アテン群)であり、地球に沿った軌道を持つ(一部に地球の自然衛星であると唱える者もいるが事実ではない)。

1986年10月10日、オーストラリアのクーナバラブラン市にあるサイディング・スプリング天文台において、ダンカン・ワルドロン (J. Duncan Waldron) がロバート・マクノート、マルコム・ハートレイ、マイケル・ホーキンスらと共に発見した。その後、1983年にチリのヨーロッパ南天天文台で発見された1983 UHと同一であることが判った。

クルースンは、イギリス諸島に最初に住み着いたケルトの部族集団クリフニャ族にちなんで命名された。クリフニャ族はヨーロッパ大陸から移り住み、イギリス諸島に現れたのは、紀元前800年から同500年にかけてである[1]。

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当時のケルト人が「Cruithne」をどう発音していたのか、正確なところはわかっていない。現代のアイルランド・ゲール語での発音は、英語版ウィキペディアなどを元にカタカナで表記すると、「クリフニャ」が近い ([?krihn??]) が、英語化された発音では「クルーフニェ」([krúxnj?]) となる[1]。ただし小惑星の名称については、ポール・ウィガートのWebサイト(外部リンク参照)では「krooy-nyuh」または「KROOee-nyuh」と発音するべきだとされており、これに近い表記は「クルイーニャ」などである。日本では現在のところ、「クルースン」もしくは「クルイシン」と表記されることが多い。

2009年04月12日

太陽系の起源と進化

太陽系の主要な天体(惑星、準惑星など、重力が太陽との主要な相互作用となる天体)は、太陽の誕生とほぼ時を同じくして形成された。太陽はありふれた恒星であるので、観測と理論により解き明かされてきた恒星の誕生過程を、太陽系の起源に当てはめることができる。

天の川銀河には、水素を主成分とし、岩石質や有機質の微小な塵(ダスト)(星間塵)を含む星間ガスがある。このような星間ガスが×103個/cm3(以下、単位は同じ)を超える数密度となる場合を星間雲といい、内部で水素分子が形成されるようになる。通常、星間雲はごくゆっくりと回転している。星間雲は均質ではなく、密度の偏りがある。この偏りが大きくなって数密度が×1010個程度を超える部分ができることがあり、そうなると一酸化炭素、シアン化水素、アンモニアなどさまざまな分子が形成される。これを分子雲と呼ぶ。

分子雲に特に密度の高い領域ができると、それ自身の重力(自己重力)によってより濃密な分子雲となる。これを分子雲コアという。典型的な分子雲コアの質量は太陽質量の数倍である。星間雲は密度が低く、放射によって熱エネルギーを失うため、10 - 20K程度の極低温であるが、分子雲コアは密度上昇のため放射による熱エネルギーの散逸が抑えられ、温度がやや上昇して数10K程度となる。

何らかのゆらぎにより分子雲コアが収縮し始めると、ダストを含むガスが中心部に向かって落下する。分子雲コアの中心近くの物質は中心に集まって原始星となる。一方、分子雲コアは星間雲と同様に回転しているので、外側の物質は落下するにしたがって回転が速くなり、それ以上は速やかに落下できない限界に達する。ただし、回転軸方向には自由に落下できるので、結果として円盤状の高密度ガス雲ができる。原始星を取り巻くように形成されるこのようなガス雲を原始惑星系円盤という。太陽系の場合、特にこれを原始太陽系星雲(あるいは原始太陽系円盤)と呼ぶ。また、原始星を特に原始太陽という。なお、原始太陽系星雲という呼び方は、惑星形成が起こる領域を指す場合が多い。ここでもこの用法に従う。

原始太陽は、まだ熱核融合を始めていない。物質の落下に伴って重力エネルギーが解放され、これに由来する熱エネルギーを放射エネルギーとして放出して輝く。原始太陽には、原始太陽系円盤を通して物質が落ち込み続けるが、分子雲コアが一気に崩壊した時の勢いはなく、徐々に成長する。この頃の円盤内では対流が生じており、物質はかき回されている。温度は高いところで1,000Kを優に超える。ダストの一部または全部がいったん揮発すると考えられる。

やがて原始太陽の成長が一段落し原始太陽系円盤が落ち着くと、温度も下がりダストが形成され、さらにガスとダストの分離が始まる。ダストは原始太陽の重力により円盤の赤道面に向かって沈降を始めるのに対して、ガスはそれ自身の圧力によって支えられているために厚みを保つためである。以下では、原始太陽系星雲という用語を用いる。

こうして、原始太陽系星雲は二層に分離すると考えられる。ガス円盤とその中にある厚みの薄いダスト円盤である。ダスト円盤はやがて自己重力によって不安定になり、一気に分裂する。分裂塊はひとまとまりになって質量×1015 - ×1018kg程度の微惑星となる。このような出来事が起きた時間は、地球軌道付近では1年程度と見積られている。微惑星の質量は、現在の典型的な小惑星や彗星の典型的な質量と調和的である。

微惑星はガス円盤中で原始太陽の周りを公転する。軌道は必ずしも円ではないので互いに衝突することがあるが、ガスの存在により相対速度が低く抑えられ、破壊されるより合体する傾向の方が強い。これを衝突合体というが、実質的には付着と言う方が近いであろう。このような衝突合体によって微惑星が成長することを集積という。数値シミュレーションによると、微惑星は全部が同等に成長するのではなく、少しでも他より大きくなったものが優位に立って、近い軌道の微惑星を取り込んでどんどん大きくなる。やがて、取り込むことができる周囲の微惑星がなくなると成長が止まる。このようにして、現在の小惑星帯よりも原始太陽に近い領域では、火星程度の質量の原始惑星が多数形成される。このような原始惑星は岩石質である。もっと遠い領域では、凝固点の高い物質が氷として存在し、岩石質のダストよりも総量で上回るので、微惑星も氷質となる。このような微惑星が集積してできる天体も、氷成分が卓越したものになる。小惑星帯よりも遠い領域では固体物質が多いために、集積した天体も大きく成長した。これを原始惑星コアと呼ぶ。

原始惑星や原始惑星コアの特徴は、周囲の星雲ガスをまとって大気ができることにある。 原始惑星コアは周囲の微惑星をなお取り込み、次第に成長する。時には原始惑星コア同士の衝突があったかもしれない。こうして地球質量の10倍程度まで成長すると、原始惑星コアの様相が一変する。原始惑星コアは、成長するにつれてまとう大気の量が増えていく。それがこの頃になると、大気をそれ自身の圧力で支えきれなくなり、大気そのものが惑星の材料として付け加わっていくようになるのである。巨大惑星のもとになる原始惑星の成長開始である。周囲には星雲ガスが大量にあるため、これが次々に付け加わり、周囲のガスがすべて落ち込むまでこの過程が続く。こうして、成長した原始惑星が木星や土星になったと考えられている。木星と土星の質量が異なるのは、土星形成の後期に、何らかの理由で星雲ガスが消失し、材料となるガスそのものがなくなったためであり、天王星、海王星が小質量にとどまったのも、この2つの惑星は星雲終末期にガスの取り込みが始まったため、あまり成長できずに終わったためであると考えられている。

星雲ガスの消失については、その機構は不明である。原始太陽で熱核融合が始まり、強い紫外線でガス分子が分解され星風で飛ばされたため、あるいは星雲ガスが中心星(原始太陽)に落ち込んだためなどと言われている。どのような機構であれ、現在の太陽系の姿になるには、星雲ガスが消失する必要がある。

地球のような固体惑星がいつ形成されたかについては、星雲ガスがある時か、消失後か、議論の余地がある。ここでは、星雲ガス消失後に形成されたというシナリオを紹介する。星雲ガスがなくなると、ガス抵抗がなくなるため、原始惑星の軌道が乱れるとその乱れを抑えるものがなくなる。すると、原始惑星は互いの重力相互作用により接近し、軌道が乱されるようになる。微惑星同士の衝突があったように、原始惑星同士も衝突するようになる。星雲ガスがないので衝突は激しいものになり、破壊も合体もいずれも起こるようになる。巨大衝突である。このような衝突の繰り返しで、金星、地球が形成されたと考えられる。水星と火星は原始惑星の生き残りか、成長がわずかであったものであろう。地球の月は、地球形成末期に起きた巨大衝突の産物であるとする説(ジャイアント・インパクト説)が有力である。

小惑星帯では、木星の重力に天体が振り回され、衝突の相対速度が上がり、原始惑星があっても破壊されてしまったと考えられる。実際に、小惑星帯からやってくると考えられる隕石の中には、ある程度の大きさの天体にならなければ起こらない物質の分離が見られるものがある。また、小さな小惑星の中には衝突によって破砕された天体の破片がゆるやかに再集積したものがあることもわかっている。

海王星以遠では、衝突合体によって微惑星が成長している途中で星雲ガスが失われ、相対速度を緩和するガスがなくなったため衝突速度が上がった。その結果、衝突合体が起こらず、惑星にまで成長するものがなかったと考えられている。これが太陽系外縁天体の起源である。

系外惑星 [編集]
太陽がありふれた星であることから、他の恒星の周囲にも惑星があることが期待されていた。1990年代中盤以降、間接的手法により200を超える太陽系外の惑星(系外惑星)が発見されている。手法特有の観測限界によるところも大きいが、かつて考えられていた太陽系と同じような惑星系はなかなか発見できず、木星級ないしそれ以上の質量の惑星が、太陽系では考えられないくらい恒星の近くを回っている例(ホット・ジュピター)や長楕円軌道を巡る例(エキセントリック・プラネット)が多数発見されている。

これらの惑星はもともと木星や土星と同じような領域で形成された後、何らかの原因で軌道が変わって現在のような姿になったと考えられているが、その原因が何なのか、太陽系ではなぜそうならなかったのかについてはよくわかっていない。

豆知識 [編集]
太陽系内の天体に関する「最も○○な××」の一覧

直径 [編集]
最も大きな天体 太陽 直径約139万km
最も大きな惑星 木星 直径142,984km
最も小さな惑星 水星 直径4,879km
最も大きな衛星 ガニメデ 直径5,262.4km
最も大きな小惑星帯(メインベルト)の天体 ケレス 直径約950km
探査機が着陸した最も小さな天体 イトカワ 535m × 294m × 209m

太陽からの距離 [編集]
特異小惑星や外縁天体は惑星に比べて離心率が大きいため、何を基準にするかによって距離も変わってくる。

近日点が最も太陽に近い小惑星 2005 HC4 約1070万km
サングレーザーと呼ばれる彗星群はこれよりさらに太陽に近づく。なかには近日点が70万km以下というものまであり、そうなると太陽の潮汐力で崩壊・消滅してしまうことも少なくない。
最も太陽から近い惑星 水星 約5800万km
軌道長半径が最も小さい小惑星 2004 JG6 約1億500万km
遠日点が最も太陽に近い小惑星 2004 JG6 約1億4600万km
最も太陽から遠い惑星 海王星 平均軌道半径約45億km
近日点が最も太陽から遠い天体 セドナ 約114億km
最も太陽から遠くに位置している天体 エリス 約145億km(2007年現在)
最も太陽から遠くに位置している人工物 ボイジャー1号 154億6000万km(2007年7月19日現在)
軌道長半径が最も大きい天体 2005 VX3 約1900億?2500億km
遠日点が最も太陽から遠い天体 2005 VX3 約3900億?5000億km
しかしながら、長周期彗星にはこれより遠日点が遠いものも多い。

表面重力 [編集]
最も表面重力の強い天体 太陽 地球のおよそ28倍
最も表面重力の強い惑星 木星 地球のおよそ2.4倍
最も表面重力の弱い惑星 水星 地球のおよそ0.2倍

自転・公転周期 [編集]
最も自転周期の短い惑星 木星 9時間55.5分
最も自転周期の長い惑星 金星 243.0187日(逆行)
最も公転周期の短い惑星 水星 87日23.3時間
最も公転周期の長い惑星 海王星 164年288日13時間
最も公転周期の短い準惑星 ケレス 4年219日
最も公転周期の長い準惑星 エリス 約557年
最も公転周期の短い小惑星 2004 JG6 184.87日
最も公転周期の長い小惑星 2005 VX3 約4万7千?6万9千年
最も公転周期の短い周期彗星 エンケ彗星 3年110日
最も公転周期の長い周期彗星 池谷・張彗星 約370年
最も公転周期の短い衛星 メティス、ナイアド 7時間4分
小惑星の衛星は含まない。
最も公転周期の長い衛星 ネソ 25年243日(逆行)

平均軌道速度 [編集]
最も平均軌道速度の速い惑星 水星 47.8725 km/s
最も平均軌道速度の遅い惑星 海王星 5.4778 km/s

時間の長さ [編集]
「1年」の長さが「1日(太陽日)」と比較して最も短い惑星 水星 1日=地球の176日、1年=地球の88日
「1年」の長さが「1日(太陽日)」と比較して最も長い惑星 海王星 1日=地球の16時間、1年=地球の164年288日

平均密度 [編集]
最も平均密度の高い惑星 地球 5.515g/cm3
最も平均密度の低い惑星 土星 0.69g/cm3

衛星 [編集]
最も多くの衛星を持つ惑星(2007年現在) 木星、土星 63個(未確定の衛星を含む)
最も衛星が少ない惑星 地球 1個
衛星を持たない惑星 水星、金星
最も多くの衛星を持つ準惑星 冥王星 3個
最も衛星が少ない準惑星 エリス 1個
衛星を持たない準惑星 ケレス、マケマケ

峡谷・山 [編集]
太陽系最大の峡谷 マリネリス峡谷(火星) 全長4,000km、深さ7km
太陽系一大きな山 オリンポス山(火星) 約25,000m(平均重力面からの高度)

ドバイ こぼれ ジェネ 月姫 キョウチ プイン プリプラ ハンドミキ キオス ストック スイートピ バランサー キクイン パンフ モカシン フィズ クォリティ そうめい ジンフ トップ デフォル きょくひ サーチナビム 村雨国内 ジンジャ 東へ西へ マルデ まっかり きうい ハナニ プラナ アプレッ ディスコ コック プルラン カイト ネイビー お手玉 とちひめ フォッグ ピョンヤン 金魚草 ヨーロッパ デコバギー ジャンク ノキオ ニューハフ デントデー ドール よもぎ

2009年03月28日

アメーバ赤痢

アメーバ赤痢(-せきり)とは、赤痢アメーバ(Entamoeba histolytica)による消化器伝染病。日本では感染症法において五類感染症に指定されている。赤痢アメーバは大腸に寄生し、糞便中にシストを排泄する。性行為で広がることもある。

世界各地でみられ、特に熱帯、亜熱帯での発生が多い。日本では開発途上国旅行者での発生が見られる。先進国では性感染症として問題視されている。感染源は回復期患者、サル、ネズミ、シストに汚染された飲食物などであり、感染経路はシストの経口感染。ハエ、ゴキブリによる機械的伝播も起こる。輸入カニクイザルの30%以上が感染している[要出典]。

症状 [編集]
ヒト
腸アメーバ症と腸外アメーバ症がある。大腸・直腸・肝臓に潰瘍を生じ、いちごゼリー状の粘液血便を一日数回-数十回する。断続的な下痢、腸内にガスがたまる、痙攣性の腹痛。常は発症しても軽症であるが、衰弱により死亡することもある。原虫が門脈を経由し肝臓に達し腸外アメーバ症を発症する。
動物(サル、ネズミ、ブタ、ネコ、イヌなど)
一般に無症状。イヌでは稀に激しい赤痢を起こす。
ダイバ いそべ シーアル ミュート メドレー チェンジ プロミ らんぶー キンシ トラッ ライター リモート サモエー セーブル マットレス ピナツボ ママ 大莢種 ゾーン デーモン ラミネート かむかむ ユー わらび リュージュ ネーション ターバン プリス ザック ドラドン リロート かみのく トーク フェナ メンター マトン ステビア リペア スナップ ツイスト ズー シング おにぎり デタント ほくとし ファイ マダム セオリ フィット マガダ

診断 [編集]
検便で赤痢アメーバを検出する(ルゴール染色、エオジン染色)。腸外型は血清アメーバ抗体の検査。

治療法 [編集]
メトロニダゾール、テトラサイクリンなどを投与する。放って置くと慢性化し、再発しやすくなる。

予防 [編集]
飲食物の加熱、手洗いの励行、適切な糞便処理が予防に有効である。また、シスト排泄者との接触に注意する必要もある。ワクチンは存在しない。

2009年03月12日

オランダ領アンティル

オランダ領アンティル(オランダ語:Nederlandse Antillen、パピアメント語:Antias Hulandes、英語:Netherlands Antilles )は、小アンティル諸島の一部であり、カリブ海に2つあるオランダの海外領土の1つ(州に相当)である。もう1つはアルバ。
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オランダ領アンティルは、以下の5つの島(1島は半分のみ)(県に相当)で構成される。(オランダ自治領のアルバも1986年までオランダ領アンティルに属していた。)

ベネズエラの北西沖
キュラソー島(クラサオ島)
ボネール島
小アンティル諸島に属するリーワード諸島
シント・マールテン島の南半分
シント・ユースタティウス島
サバ島
主都は、キュラソー島のウィレムスタッド。その中心市街と港は1997年世界遺産に登録されている。

キュラソー島は、お酒のキュラソー(オレンジのリキュール)発祥の地である。

セント・マーチン島の南半分はオランダ領シント・マールテンであり、オランダ語名で呼ばれる同島名でもある。同様にフランス語名での島の呼び名ではサン・マルタンであり、フランス領の島北半分を示す。セント・マーチンの呼び名は英語名であり、オランダ領とフランス領を統一した島での場合で呼ばれる事が多い。

元首はオランダ国王であり、その代理として総督が置かれている。知事は自治政府の代表であり、閣議を開催する他、行政府を取り仕切っている。議会はオランダ領アンティル全体のもの(州議会)の他、各島にも地方議会(県議会)がある。

2004年10月、オランダとオランダ領アンティルの合同委員会は話し合いの結果、オランダ領アンティルの解体を宣言した。各島の経済格差などが理由である。オランダ領アンティルの全5島は将来、オランダ領アンティルを維持していくかどうかの住民投票も行われた。1993年から1994年の間に行われた住民投票では全5島とも現状維持の方を選んだが、2000年に行われた住民投票では、キュラソー島、ボネール島、シント・マールテン島、サバ島の4島は現状維持の不支持を選択、シント・ユースタティウス島だけが現状維持を支持すると言う結果だった。今後もオランダ領アンティルとして各島を統合するのか、それとも1986年に分離したアルバ島の様に、独立したオランダ自治領となるのかは今のところは不透明な状態である。オランダ領アンティルを解体して、それぞれの島がオランダ自治領となる場合は、オランダ政府とオランダ領アンティル政府との合意が必要である。2008年12月15日にオランダ領アンティルの解体の計画が出ている。

オランダとしてのオランダ領アンティルの外交問題としてはベネズエラとの領海に置ける境界の問題がある。

地理
オランダ領アンティルは全部で5島からなり、キュラソー島とボネール島はベネズエラ沿岸からわずかのところに位置し、シント・マールテン島(オランダ領の南部分)、サバ島、シント・ユースタティウス島は北方800Km、小アンティル諸島にある。

経済
主産業は主にラム酒で、キュラソー島のリキュールは有名である。あとは、観光産業やオフショア金融。

2009年02月24日

宇宙鉄人キョーダイン

葉山一家の末っ子・健治の誕生日パーティの最中、世界的ロボット工学者の父・葉山博士、長兄・譲治、次兄・竜治が、知識を狙って侵入して来たダダ星人によって拉致された。

やがてダダ星人のロボット群“ダダロイド”による地球侵攻が始まったが、発足した地球防衛軍では限界が生じる。

1年後、ロケットに乗って現れた2体のロボット、スカイゼルとグランゼル。それは葉山博士が、健治と地球をダダ星人から守る為、2人の兄の記憶・人格を全てロボットに移植した“サイバロイド”だった。健治は、父と兄が帰れない事実を受け入れられないながらも、2体のサイバロイドと共にダダ星人と戦う事を決意する。

NG稿では「鉄人兄弟 スカイブラザー」というタイトルだった。日本語を横文字にしたいという原作者のこだわりもあり(キカイダー、ゴレンジャー、アクマイザー3等)このようなタイトルに成った。
当初は大掛かりな特撮を駆使した巨大メカアクションを目指していたようで、第1話から第6話までは、スカイゼルとグランゼルが巨大メカに変形してダダロイドの変形した巨大メカと戦うのが大きな見所となっていた。
ストーリーは1話完結でなく、2?4話で完結する形式をとっていた。
本作以前に毎日放送、TBSで放送された『仮面ライダーストロンガー』が思うような人気が得られず、仮面ライダーシリーズが終了してしまうのに対し、NET系(現、朝日放送)の『秘密戦隊ゴレンジャー』は人気の絶頂に達していた。そこで「ポスト仮面ライダー」として製作されたのが本作であり、スタッフもスタントマンは大野剣友会、音楽は菊池俊輔など仮面ライダーシリーズから引き続き担当している。
仮面ライダーシリーズとは違った年層を狙い、対象年齢は小学校低学年以下となっている。そのため菊池が担当したアクション系作品では珍しく、メジャーコードのBGMが大量に作曲されている点や、ロボットならではのコミカルなアクションシーンが多い。またささきいさおが唄う主題歌のレコーディングの際、同時制作された挿入歌を唄うために本作品出演者、堀江美都子も立ち会っており、堀江はその主題歌の歌詞を見て「こんなの佐々木さんが可哀そうよ」と言ったほど幼児向けの歌詞だったという。
アイス スノー ランブ トリック フレデ マーチ シュテム マイウェイ ショナリー トーゴ ミクシィ スロット キール ビターオ キニン バイテク スタチン マジソン ピンドル オスカー 夏のロ ティハリー シンフォ ピョン ウムドン オマーン ミートボガ トッポッ ニズム スタン ベンジャ ダイヤ ランマ 大正琴 ガザ二ア ダイマー コットン ハラシ 道のむこ ショア マルク だいとう クーポン ピューリ チダー キシリ アンゴ ゆかいな スター ハニー

主要登場メカ
葉山家
スカイゼル
葉山譲治の人格を移植されたサイバロイド。顔の部分が開いてモニターとなり(「オープンフェイス」と称する)葉山譲治の顔で話すことができる。超エネルギー粒子、ダダニウムを動力源としている。機体色は赤と銀。名前のとおりスピード重視・空戦型であり頭部に補助翼、胸にエアインテークを持つなど航空機の特徴を意匠に持つ。人型形態から攻撃形態へと巨大化変形が可能。番組中盤から擬似的な仮想人格とサイバロイドボディとが分離し、「インダースカイゼル!」の掛け声で実体化した仮想人格がサイバロイドボディに入ることでスカイゼルとなるようになった。この機能は、ベース円盤内にあるキョーダイヤという宝石から発せられるエネルギーによって発動する。44話でブラックナイトを倒すためにキョーダイヤで剣を作ったため、それ以降は人間の姿になれなくなった。この擬似的な変身機能を用い始めた頃から巨大化変形は使用されなくなっている。グランゼルとのコンビネーションパワーにより1京ダイン(ダインは単位)のパワーを出すことが出来る。最終回ではエネルギー極限発動装置を起動させ、ガブリンとともに四散した。
スカイジェット
スカイゼルが巨大化変形したもの。4話から登場。変形前と後では色くらいしか共通点は無い。緑のライト状の目はツリ気味の三白眼となり口が開き牙まで生えている(戦闘機に描かれるシャークマウスが、そのまま顔として立体化されているような意匠)。その顔付きの機首が鎌首をもたげるように双発ジェットから伸び、腹部にグランミサイルを抱える。
スカイミサイル
スカイゼルの巨大化変形の別バージョン。1話から登場。ミサイルというだけあって細身の円柱であり先端にやはり牙つきの顔がある。またミサイル形態には手が残されており、主翼の先端に肘から先の腕が取り付けられ突撃の際にはぐるぐると回転させる。グランカーに搭載される。突進して繰り出すパンチと、頭からつっこんで後部にある爆弾を切り離し、爆破するという攻撃方法を持つ。
スカイマシーン
専用バイク。牙つきの口模様がある。色は赤で丸みを帯びたデザイン。
グランゼル
葉山竜治の人格を移植されたサイバロイド。スカイゼル同様のオープンフェイスにより、葉山竜治の顔で話すことができる。ダダニウムを動力源としている。本人と同じく大食漢である(サイバロイドはダダニウムをガソリンと混合させ料理状にしてチューブから摂取する)。機体色は青と黄と銀。両耳がタイヤ、顔はフロントグリル、目はヘッドライト、肩がフェンダー、胸にマフラーなど、自動車の意匠をもつ。人型形態から攻撃形態へと巨大化変形が可能。スカイゼルと同じく番組中盤以降は、「インダーグランゼル!」で擬似変身をするようになった。機能的にはスカイゼルと同じだがややパワー重視・地上主体タイプであった。拳だけ変形させて格闘武器(グレートパンチ)にすることが可能。最終回では兄とともにガブリンを道連れにする。
グランカー
スカイミサイルを搭載するカタパルトを装備したスーパーカー形態。1話から登場。車体前部には牙の生えた口を持つグランゼルの顔があり、前輪は巨大化した拳に収納され後部は金属フレームが露出した六輪車。実際に走行する撮影用モデルが製作された。
グランミサイル
スカイジェットに搭載される第2形態。4話から登場。スカイミサイルよりも細身で、手も拳部分のみになっている。変形の際いったん外れた車輪がミサイル本体を軸にするように刺さるため、後端はタイヤが巻きついたような造形となっている。牙つきの口に三白眼は他の変形同様。
グランマシーン
専用バイク。牙つきの口模様がある。色は青で角ばったデザイン。スカイマシーン同様、劇中での活躍シーンは少なかった。
ゴンベス
黄色い円盤状の頭部と黒い球状のボディを持つメンテナンスロボット。ベース円盤内で暮らす葉山健治の面倒を見る家政ロボでもある。内蔵されたコンピュータにより、様々な物を生産可能。重量がかなり重いらしく、急ぐ際には手足を収納して胴体と頭部に分離して、胴体を転がすゴンベスボールと、頭部を飛行させるシャッポアタックで移動する。上半身は地中を掘り進むゴンベスドリルに変形可能で、体をミニサイズに縮小する能力もある。語尾に「ベス」をつけるのが口癖。
ベース円盤
スカイゼル、グランゼルが乗ってきた円盤。その後新たな葉山家となる。キョーダインのメンテナンスを行なうことができる。本来は救助用だが、戦闘も可能。最終回ではダダ星に向かった。

ダダ星地球侵略ロボット軍
ガブリン
ダダ星の闇将軍と呼ばれる機械生命体。地球侵略の全指揮を執る。当初侵略ロボを送り出していただけだったが、後に地球に飛来して直接侵略行動を行なった。その姿は巨大な手型メカであり、掌に隻眼を持つ。各指にデス五人衆と呼ばれる精鋭部隊を格納している。毎回、ムソルグスキーの交響詩「禿山の一夜」をバックに、黒雲の中から登場した。
ガブリンクィーン
ガブリンの忠実な配下である女性型機械生命体。ダダ星の王が脳髄のみで生きていたことを考えれば、おそらくクィーンも過去のダダ星王妃のサイバロイドと推測される。ダダ星の王への忠誠心がいつしかガブリンへの忠誠心と変わってしまった。キョーダインを圧倒する戦闘力を持っていたが最終回で倒された。人間形態へと変身でき、人間を洗脳するなど絡め手の作戦を得意とした。外見はタイ、もしくはインド舞踊の衣装に似ている。
デス五人衆
デスガッター
デス五人衆の一人。名前のとおり巨大な刀を武器とする。他に念力も使える。
デスギャット
デス五人衆の一人。コウモリと猫をかけあわせたような顔つきで、額に第三の目を持つ。暗闇でも平気な視力と200km/hで走る脚力が自慢。
デスギラン
デス五人衆の一人。機械生命体でありながら生物的な顔に単眼を持ち、植物を操る能力を駆使。
デスバイキン
デス五人衆の一人。体内で生成する殺人細菌を操る。手持ち武器はムチ。人間形態に変身した回では女性だった。
デスフラッシュ
デス五人衆の一人。のっぺらぼうの顔に一つ目。名前のとおり高圧電流とそれを変換して生み出す殺人光線で戦う。
ブラックナイト
度重なる失敗に怒ったガブリンがデス五人衆を分解し、その部品から組み上げた超ロボット。かなりの怪力でキョーダインを苦しめた。当初は古代ムー帝国よりダダ星に伝わる悪魔の剣・月光の剣を武器としていたが、キョーダインが手に入れた太陽の剣に敗れる。その後は槍と弓矢を武器に再登場する。最後はダダダイヤ製の勇者の剣でキョーダインを追い詰めたが、キョーダイヤ剣で剣ごと倒された。
アルファタ・ダダーリン王
ダダ星の王。番組内時間で400年前に死亡したとされていた。科学の発達したダダ星が環境破壊で滅びたため、新たな移住可能な星を探すようにロボット達に命じた。しかしその間にダダ星人は死に絶え、ダダーリン王の脳だけがロボットの手によってダダ星の戦略コンピューターの中枢として組み込まれていた。「はなつみのうた」のメロディーによって目覚め、ダダ星とともに滅びた。

2009年02月07日

スパルタクス団

スパルタクス団(スパルタクスブント、Spartakusbund)は、ドイツの左派マルクス主義者たちによる政治団体。第一次世界大戦中に発足した。ドイツ共産党の前身。
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ドイツ社会民主党が1914年8月4日に戦時公債を承認したときから、党内左派はカール・リープクネヒト、ローザ・ルクセンブルク、フランツ・メーリング、クララ・ツェトキンを中心として反対派を形成し、1915年7月の党指導部宛の抗議書簡として公然となった。反対派は「労働共同体」の支持者と「グルッペ・インターナツィオナーレ」 (Gruppe Internationale) に分裂し、後者は1916年初めにリープクネヒト宅で自立的な全国協議会を開き、ルクセンブルクが起草した指針を採択し、独自の刊行物を発行することが決定された。この非合法の冊子(スパルタクス書簡 (Spartakusbriefen) )のために提案されたペンネームとして「スパルタクス」が用いられ、以来「グルッペ・インターナツィオナーレ」は「スパルタクスグルッペ(スパルタクス・グループ)」 (Spartakusgruppe) として知られるようになる。

主要なメンバーが逮捕、保護拘禁されていたためにスパルタクス書簡の維持と配布という危険な仕事は、レオ・ヨギヘスの受け持つところとなった。組織者・編集者として非凡な才能を発揮したヨギヘスは警察の追及をかわし冊子の販売部数を伸ばしつつ、グループの連絡を保っていた。寄稿の多くはルクセンブルクで他にメーリング、リープクネヒト、パウル・レヴィ、J・カルスキー、エルンスト・マイヤーなどが他の論文や記事を書いている。

戦術と理論
ローザ・ルクセンブルクはスパルタクス団唯一の政治理論家であり、戦時中に「ユニウス」というペンネームで著したパンフレットの中で、プロレタリアートの権力獲得を目的とした労働者による祖国防衛というプログラムを展開していた。しかし一方、ブルジョア国家の起こした戦争はどんなものであれ支持することはできない、とも考えていた。帝国主義の時代では全ての戦争が大資本の競争から起こるのであり、ドイツが勝とうが負けようが労働者にとっては有害である。労働者は民族戦争を拒否し、革命により権力を握ることによってのみ救われる。1914年の戦時公債を承認したときに第二インターナショナルは死んだため、労働者階級の新しい独自の行動は戦時公債の拒否とともに始めることができる、と彼女は主張した。

権力奪取の方法、革命後の組織についてローザはなにも明確なことは書いていない。彼女はボルシェヴィキのような「党の独裁」というやり方へのもっとも厳しい批判者であり、アナルコ・サンディカリズム的な大衆の自然発生的な行動に対する信頼があるのみだった。1918年11月のドイツ革命勃発で解放されたスパルタクス団の指導者には、何の準備もなかったということになる。

ロシア革命からドイツ革命へ
1917年のロシア革命をスパルタクス団は熱烈に歓迎し、世界大戦は世界革命に転化し始めた、と判断した。スパルタクス書簡は大衆に革命をうながしたが、この宣伝は見るべき効果を上げなかった。1918年1月のストライキ集会に代表者を送ることもできず、一般の労働者の気分は「平和と民主主義」のスローガンを離れなかった。10月7日ベルリンでスパルタクスの秘密会議が開かれ、労働者と兵士に対する呼びかけをし、社会主義をドイツで行うようにと訴えた。ところが11月4日キール軍港の水兵たちの蜂起からドイツ革命が始まり、スパルタクス団は不意をつかれた。11月10日に多数派社会民主党と独立社会民主党の連合が成立し、スパルタクスは反対派として党の外にとどまり、ベルリンの独立社会民主党内に形成されていた急進左派の「革命的オプロイテ」(de) と接近した。ヴァイマール共和国の政府への反対・煽動が続けられ、12月6日にはベルリンで共和国兵士がスパルタクス団のデモ行進に発砲し、16名の死者を出す。12月30日ベルリンでスパルタクス団の党大会が招集され、独立社会民主党から正式に分離し、「ドイツ共産党」 (Kommunistische Partei Deutschlands) という名称の新党が成立した。

2009年01月23日

外来種の導入

他の陸地に生息する種から、海や大洋といった障害物によって隔絶されていたことにより、地球各地に多様性が豊かな地域が生じた。しかしながら、人間は船や飛行機を発明し、過去の進化史上で出会うことがなかった生物種を接触させる力を持った。 人間による外来種の導入は、競争による在来種や固有種の絶滅や、遺伝子汚染による生物種の変化を通じて多様性に強く脅威を与える。
外来生物は、捕食者や寄生者、あるいは養分・水・光を在来種から奪う単に攻撃的な種であることがある。外来種は進化的背景や環境の影響によって競争力を持ち、在来種は同様の理由で外来種に対して防御的で競争力がないことがしばしばある(言い換えるならば、持ち込まれた生物のうち、在来種との競争に勝ち残る能力を持つ生物が、外来種として新たな環境に定着するのである)。外来種が生態系に導入され自立した集団を確立すると、その生態系にいる在来種は生き残れないかもしれない。以上の結果として、人間が異なる地域から種を持ち込むことを続けるならば、世界中の生態系において少数の種だけが優勢になることも起こりえる。
遺伝子汚染は、在来の個体群が存在する地域に、近縁の別の個体群が人為的に持ち込まれることで、両者の間で交雑がおき遺伝子が交じり合う状態になることである。遺伝子汚染が起きると雑種を完全に駆除する以外には、純粋な在来種を復元する方法がない。日本においては、タイワンザルとニホンザルの混血、コイやメダカの放流の問題、農業用マルハナバチの野外拡散による在来種への影響の例がある。
その他
生物多様性と関連を持ち注目を集めている出来事として両生類の減少がある。両生類は生態系の中で、小型動物の捕食者の地位にある。そのため、両生類が減少すると、昆虫の増加やそれに伴う生態系の撹乱がおきる可能性がある。
関連記事: 絶滅・環境問題・外来種

保全
生物多様性の保全は世界的に関心を呼ぶようになってきている。全ての人が現在の絶滅の範囲と重要性に同意するわけではないが、大部分の人は生物多様性が不可欠であると考える。

基本的には、保全の選択肢として2種類の主な類型、本来の場所(in situ)での生息域内保全(以下、域内保全)と別の場所(ex situ)での生息域外保全(以下、域外保全)がある。域内保全活動の一例としては、保護地域の設定がある。他方、域外保護活動には、遺伝資源の収集保全や人工繁殖などがある。日本において遺伝資源保存・提供を行っている機関は、農業生物資源研究所のジーンバンクなどがある。

通常、域内保全は理想的な保全戦略であるように思われるが、しばしば実現不可能である。希少種や絶滅危惧種の生息地が破壊されている場合には、域外保全が必要となる。さらには域外保全は、域内保全事業への後方支援を提供できる。適切な維持を確実にするためには双方の保全が必要であると信じる人もいる。

国家レベルでは、個々の生物種を保護するために必要な手順を明記した生物多様性行動計画(Biodiversity Action Plan, BAP)を用意することがある。通常この計画には生物種とその生息地の実際のデータが詳細に記載される。そのような計画は、日本では生物多様性国家戦略[15]、アメリカ合衆国では再生計画と呼ばれる。

持続可能な開発に関する世界首脳会議で討議された議題の中に「生物多様性に対する脅威」があり、継続的な植物の収集を補助するために地球規模の環境保全信託機構の設立が望まれるとされた。

関連記事: 保全生態学・アジェンダ21・生物の多様性に関する条約・国際自然保護連合

法律における位置づけ
生物多様性は、観察・目録化・保全を通して評価と解析されるべきであり、その後、政治判断の対象となる。これが法律的な位置付けを受ける開始点となる。

「法と生態系」の関係は、生物多様性にとって大変に古く重要な関係である。それは私的・公的な所有権について関与する。脅威にさらされている生態系の保護を定めるが、ある種の権利と義務(例:漁業権・狩猟権)についても定める。
「法と生物種」の関係は、より最近の問題である。それは、絶滅の危機にあり保護されるべき生物種を定義する。これらの法の適用に対して疑念を持つ人もいる。「法と生物種」問題について触れた法律としては、日本では「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律」、アメリカ合衆国では絶滅危惧種法(Endangered Species Act)がある。
「法と遺伝子」の関係は、わずか約1世紀の歴史しかない。家畜化や伝統的な植物選抜法など遺伝学的な手法は新しくはないが、過去20年間に遺伝学分野に起きた進歩が、法律を厳密化する元となった。新しい遺伝子工学技術により人々は、遺伝子の特許化、(生物が関与する細胞内外の)過程の特許化、新しい統合された遺伝資源の概念を作りつつある。遺伝子・生物・DNA・過程、これら内のどれが資源であるか定義しようと、熱い議論が今日繰り広げられている。
1972年のユネスコ大会では、植物などの生物学的資源が人類の共有資産であると取り決めた。資源が存在する国の外部では、この規則に触発されて、遺伝資源の大きな公的な保存事業を創立したのであろう。

新しい地球規模の協定(例:生物の多様性に関する条約)では、生物学的資源に関する権利(所有権ではない)を主権国家に与えている。生物多様性の静的な保全の考え方は消えつつあり、資源と革新の概念を通して、動的な保全の考え方に置き換えられつつある。

新しい協定は、生物多様性の保全、持続可能な資源の開発、および得られた利益の共有を、国々に対して勧告している。これらの新しい規則の下では、利益の共有と交換に、天然産物のbioprospecting(対象物と対象物の学術情報収集)または収集を、生物多様性に富む国に許可しなければならないと予想される。

国家主権原則は、アクセスと利益共有に関する協定(Access and Benefit Sharing Agreements, ABAs)として良く知られていることに対応させることができる。生物多様性条約の精神は、資源国と資源収集者の間に予め正しい情報を得た上での合意を形成することを含んでいる。その合意とは、「どの資源を用い、どのような目的で行うか」を明確にし、利益共有についての公正な取り決めを設定することである。これらの原則が守られない場合、bioprospectingは、一種のbiopiracy(生物資源の略奪)になりうる。

生物多様性基本法案の成立
日本国内法として、「生物多様性基本法案」が2008年5月20日に可決された。同法案は、人類存続の基盤である生物の多様性を将来にわたり確保するため、国、地方公共団体、事業者、国民の責務を明確にすることで環境保全等に関する施策を総合的かつ計画的に推進するものである。

最大の特徴は、開発計画を立てる際に環境アセスメントを行うことを義務付けたことである。これまで、日本における大型開発などで環境が破壊されるたびに、開発推進派と環境保全派との激しい論戦が交わされてきた。同法案の成立によって、今後より適切な環境論議がなされるものと考えられている。

創始者効果(海洋の生物多様性研究への展開)
生物多様性の研究分野は、狭い対象に集中しており、開始した人々の興味分野、すなわち陸生動物について過度に定義されていると批評を受けてきた。この研究内容の偏りはノースとアイリッシュによって「創始者効果」と名づけられた[16]。

フランスとリグは、1998年に生物多様性の文献を総括して、海洋の生態系の研究論文が不足していることを見出し[17] 、海洋の生物多様性研究を「手に負えない大問題」と呼んだ。接近しにくい深海領域よりも、サンゴ礁など接近しやすく多様な沿岸の系について、より多くの研究がなされてきた。今後、海洋環境保全は、生物海洋学の海洋生態系の分類と生物種データ収集に関する方法論的問題を解くのと同様に、新しくて国際的なメカニズムを開発しなければならない。

生物の大きさに関する偏り(微生物の多様性について)
生物多様性研究者ショーン・ネイは、地球上の生物多様性を構成している生物の大多数は微生物であり、現在の生物多様性の研究は物理的に「目に見える世界に固定されている」と指摘した(ネイは「目に見える」を「巨視的」の同義語として使っている)[18]。微生物は、多細胞生物と比較すると、代謝的にも環境的にも非常に多様である。「リボソームの小サブユニットRNAの解析に基づけば、生命は3系統に分岐しているが、見える生命はそれほど注目すべき分岐枝ではない」と、ネイは述べている。これは驚くにあたらない…というのは、「目に見える生物」が現れるまで、「目に見えない生物」(微生物)には、進化を進め多様化する20億年以上の時空間があったためである(節「#生物多様性と進化」参照)。

しかしながら、これに対する反論として、生物多様性の保全として「排他的に目に見える種に焦点を合わせた」ことは決してないということが指摘できる。 当初から、生物群集や生態系の型の分類・保全は、生物多様性研究の主体であった。生物分類から漏れている「目に見えない多様性」は「目に見える多様性」と同様に扱うことができなかったが、この過去の多様性保全の思想から、生態系の多様性を維持する最善の手段をとってきている。したがって、過去の生物多様性の研究の成果は、生態系を構成している「目に見えない生物」の多様性も可能な限り維持してきたと言える。

参考記事:極限環境微生物・16S rRNA系統解析・生物の分類#三つのドメイン

資源としての利用
生態学者と環境保護主義者は、生物多様性の保全に関して、まず始めに経済的な側面から議論を行った。

経済的な価値を持つ製品(食品・薬品・化粧品など)を生み出す資源の供給源として生物多様性は重要である。この生物資源管理という概念は、生物多様性の衰退に伴う資源喪失の危惧と関連してくる。生物多様性を資源とみなす考え方は、天然資源の分配・割当のルールに関する新しい衝突を引き起こす元にもなっている。

生物多様性が持つ経済的な価値の推定は、生物多様性の分布について議論するために必要な前提条件となる。その議論の終着点は、環境保全に対して財政的支援を行う決定を伴う必要がある。

多様性を持つ生物群という意味において、以下の項目で生物多様性(≒生物資源)は利益をもたらす。

食品
人間への飲食物の提供。食用に用いられる陸生動物には、脊椎動物・昆虫類(昆虫食)がある。海洋生物については、魚をはじめ多様な種が食用に用いられている(例:甲殻類・軟体動物・藻類)。その他、食用になる陸生生物として、穀類や野菜などの種子植物、シダ植物、およびキノコ(菌類)などがある。また、菌類の一部(酵母、コウジカビ)や真正細菌の一部(酢酸菌・乳酸菌・納豆菌)などは、発酵食品の製造に用いられている。
薬品
パラグラフ マンツ 東京ドド セダン キーボ オープナ ランドスケ フィギュア オシロ きゅうじ カオス トムソ ブック ゾンホルル うみがめ ピリン ココア ナイーブ デメリット ロバスト プレー けいこう マチネー メサ スクリー Sぎさん オフィビ ムスカリ スイーツ メタン デンパ アベバ 羽衣便り 五番街 パンケ じゃが 楽しむ トロイカ 万華鏡 サラダ ギネ バカンス ウォッ とよころ スタイロ ジャスト パワーシフト イクラ 紅の翼 レッテ

直接的あるいは間接的に、生物資源に由来する薬品は多い。しかしながら、多様な植物の中で、新薬の供給源となる可能性について徹底的に調査が行われたのは少数にすぎない。抗生物質や産業用酵素は、生物を利用して作られている。
工業原料
広範囲の工業原料は生物資源から由来する。これらは建築材料、繊維、染料、天然樹脂、接着剤、ゴム、および油脂を含む。より広範に生物の多様性を継続的に調査していくことは、利用可能な素材を増加させる莫大な可能性を持つ。
レジャー、文化、および芸術的な価値
田舎で散歩を楽しむこと、野鳥観察、テレビの自然史番組の視聴といったレジャー活動を通して、生物多様性から人類は恩恵を受けている。音楽家、画家、彫刻家、作家、および他の芸術家といった人々は、生物多様性に触発されることがある。自分たちが自然界に統合されている一部であるとみなし、他の生物に敬意を払っている文化的な集団も多い。
その他の生態系サービス
生物多様性は人類が当然のこととして享受している生態系サービスを供給している。生物は、大気と水の供給において化学的制御の一端を担っている。また、栄養物の循環や、肥沃な土を供給するのにも関与している。環境制御実験によって、人為的な生態系は簡単には構築できないことが判明した(生態系を構築する試みやバイオスフィア2を参照)。

脚注
^ 環境省「生物多様性条約」生物多様性センター「生物多様性条約の本文」
^ biological diversityは、1970年代から使われていた。
^ National Forum on Biological Diversity, 1986年開催
^ E.O.Wilson (ed.), F.M. Peter (associate ed.), Biodiversity, National Academy Press, 1988. ISBN 0-309-03783-2; ISBN 0-309-03739-5.
^ V.H. Heywood, R.T. Watson (executive ed.), Global Biodiversity Assessment, Cambridge University Press, 1995. ISBN 0-521-56481-6. ("Biodiversity", Glossary of terms related to the CBDの情報源。またこのサイトには biological diversity について25種類の定義が列記してある。)
^ K.J. Gaston & J.I. Spicer, Biodiversity: an introduction, Blackwell Publishing. 2nd Ed., 2004. ISBN 1-4051-1857-1
^ R.H. Whittaker, "Evolution and measurement of species diversity", Taxon, 21, pp. 213-251 (1972).
^ N. Myers, "Threatened biotas: 'hot spots' in tropical forests", Environmentalist, 8, pp. 187-208 (1988).
^ N. Myers, "The biodiversity challenge: expanded hot-spots analysis", Environmentalist, 10, pp. 243-256 (1990).
^ 大森信、ボイス・ソーンミラー『海の生物多様性』「鉛直分布」pp.84-87。(2006年)
* 魚類種数のみに限れば、1,000mより深い漸深海層では海表層の数分の1になるが、その他の小型動物の多様性は水深2,000m以深で多様性が最大になるものがある(C.M.ラリー、P.M.パーソンズ『生物海洋学入門』「6.6海産魚類」「8.8深海生態学」)。
^ 『海の生物多様性』「種多様性の傾き」pp.48-50,「水平分布」p.87-88
^ J. Alroy et al., "Effect of sampling stanardization on estimates of Phanerozonic marine diversification", Proceedings of the National Academy of Science of the United States of America, 98, pp. 6261-6266 (2001).
^ S.L. Pimm, G.J. Russell, J.L. Gittleman, T.M. Brooks, "The Future of Biodiversity", Science, 269, pp. 347-350 (1995).
^ P. Ehrlich, Extinction, Random House, New York (1981). ISBN 0-394-51312-6.
^ 環境省「生物多様性国家戦略」(2002年)生物多様性センター「生物多様性国家戦略」
^ K.E. Irish, E.A. Norse, "Scant emphasis on marine biodiversity", Conserv. Biol., 10, p. 680 (1996). - 「創始者効果」との命名は一種の言葉遊びである。生態学・集団遺伝学の用語「創始者効果」は、「個体数の少ない集団を元にして、隔離された生物集団が新しく作られるときに遺伝的浮動が起こること」を指す。
^ R. France, C. Rigg, "Examination of the 'founder effect' in biodiversity research: patterns and imbalances in the published literature", Diversity and Distributions, 4, pp. 77-86 (1998)
^ S. Nee, "More than meets the eye",Nature, 429, pp. 804-805 (2004).

2009年01月16日

念仏者取締令を出す

ロール ラズベリ ジュニア つじばしゃ リンドウ ツーショット MIX サイバー ジオン ショート ネクトン タイムカプ 大和撫子 ダッフ マタニテ みなのがわ モットー アクア フレクター リッパ 新緑 ハイパー ひろさき ジョン 春夏秋冬 スライン じゅんぼ スンデ ピストル 大和 フィブロ はしげた カバロール ユーモア ネス メロデ イヌコ シリビン メラノ タニリ スパイシー 決意 はちりゅ ピンハ マテバ 飛騨紅 ルース べびーぽ テクス クロロキン

天福2年(1234年)鎌倉幕府が、念仏者取締令を出す。その為、62、3歳の頃に帰京する。帰京後は、著作活動に励むようになる。

親鸞が帰京した後の東国(関東)では、様々な異義異端が取り沙汰される様になる。
寛元5年(1247年)75歳の頃には、補足・改訂を続けてきた『教行信証』を完成したとされ、尊蓮に書写を許す。

宝治2年(1248年)、『浄土和讃』と『高僧和讃』を撰述する。

建長2年(1250年)、『唯信鈔文意』(盛岡本誓寺蔵本)を撰述する。

建長3年(1251年)、常陸の「有念無念の諍」を書状を送って制止する。

建長4年(1252年)、『浄土文類聚鈔』(じょうどもんるいじゅしょう)を撰述する。

建長5年(1253年)頃、善鸞(親鸞の息子)とその息子如信(親鸞の孫)を正統な宗義布教の為に東国(関東)へ派遣した。しかし善鸞は、邪義である「専修賢善」(せんじゅけんぜん)に傾いたともいわれ、正しい念仏者にも異義異端を説き、混乱させた。また如信は、陸奥国の大網にて布教を続け、「大網門徒」と呼ばれる大規模な門徒集団を築く。

妻、 恵信尼との別れ
建長6年(1254年)、恵信尼は、親鸞の身の回りの世話を末娘の覚信尼に任せ、故郷の越後に帰ったと伝えられる。帰郷の理由は、親族の世話や生家である三善家の土地の管理などであったとされる。

建長7年(1255年)、『尊号真像銘文』(略本・福井県・法雲寺本)、『浄土三経往生文類』(略本・建長本)、『愚禿鈔』(二巻鈔)、『皇太子聖徳奉讃』(七十五首)[20]を撰述する。

建長8年(1256年)、『入出二門偈頌文』(福井県・法雲寺本)を撰述する。

同年5月29日付の手紙で、東国(関東)にて異義異端を説いた善鸞を義絶する。

『歎異抄』第二条に想起される関東衆の訪問は、これに前後すると思われる。
康元元年(1256年)、『如来二種回向文』(往相回向還相回向文類)を撰述する。

康元2年(1257年)、『一念多念文意』、『大日本国粟散王 聖徳太子奉讃』を撰述し、『浄土三経往生文類』(広本・康元本)を転写する。

正嘉2年(1258年)、『尊号真像銘文』(広本)、『正像末和讃』を撰述する。

『浄土和讃』『高僧和讃』『正像末和讃』を、「三帖和讃」(さんじょうわさん)と総称する。
この頃の書簡は、後に『末燈抄』(編纂:従覚)、『親鸞聖人御消息集』(編纂:善性)などに編纂される。

入滅
弘長2年(1262年[1] )11月28日[4] (グレゴリオ暦 1263年1月16日[6] )、押小路(おしこうじ)南、万里(までの)小路東の「善法院」(弟の尋有僧都が院主の坊)[5][21] にて、享年90(満89歳)をもって入滅する。臨終は、親鸞の弟の尋有僧都(じんうそうず)や末娘の覚信尼らが見取った。遺骨は、鳥部野北辺の「大谷」に納められた。 流罪より生涯に渡り、非僧非俗の立場を貫いた。

現在でも親鸞への報恩感謝の為、祥月命日には「報恩講」と呼ばれる法要が営まれている[6]。
荼毘の地[5] は、親鸞の曾孫で本願寺第三世の覚如の『御伝鈔』に「鳥部野(とりべの)の南の辺、延仁寺に葬したてまつる」と記されている。

頂骨と遺品の多くは弟子の善性らによって東国(関東)に運ばれ、東国布教の聖地である「稲田の草庵」に納められたとも伝えられる。
文久9年(1272年)(親鸞入滅より10年後)、親鸞の弟子たちの協力を得た覚信尼により、「大谷」の地より吉水の北辺(現、崇泰院(そうたいいん)〔知恩院塔頭〕付近)に改葬し「大谷廟堂」を建立する。(永仁3年(1295年)親鸞の御影像を安置し、「大谷影堂」となる。)

元応3年(1321年)、本願寺三世覚如により、「大谷廟堂」を「本願寺(大谷本願寺)」と名乗り寺院化し成立する。(応長2年〈1312年〉に、「専修寺」と額を掲げるが、叡山の反対により撤去する。)

寛正6年(1465年)に、延暦寺西塔の衆徒により破却される(寛正の法難)まで、本願寺はこの地にあった(本願寺八世蓮如が宗主の時代)。